伊達政宗
伊達政宗 24歳まで米沢ですごしました。
米沢はかつては伊達家の領地でした。戦国武将・伊達政宗は米沢城に生まれ、24歳で豊臣秀吉の命により仙台岩出山城に移封されるまでの青年期を米沢にてすごしました。
伊達政宗生誕の地
仙台藩主伊達政宗の始まりの土地です。
松岬公園内にある「伊達政宗生誕の地」の碑です。伊達時代の米沢城もここにあったとされてきましたが、2001年の米沢市教育委員会の調査により、舘山城、もしくは舘山城の近くに存在したのではないかといわれています。
館山城跡
かつて伊達家の城があったとされています。
舘山城跡は、米沢市の南西部にあります。小樽川と大樽川が合流する小高い丘陵地にあることから、伊達時代に戦いの拠点とされていたのではないかといわれています。城の主郭は全長約350mで、土塁や曲輪、物見台、堀切の跡が確認され、大規模な山城だったと推測されます。
米沢市は2010年より、国指定史跡化を目指して整備保存事業に取り組んでおり、2016年に国の史跡に指定されました。
成島八幡宮
成島八幡宮・神社
建立以降、歴代領主によって保護されてきました。
成島八幡神社は、宝亀8年(777年)建立とされています。平安時代には、置賜郡にあった3つの荘園のひとつ、成島荘の鎮守として崇拝されました。その後、神社に納められた棟札(むねふだ=建物の新築や修理の際、建物名・願主・大工名・年月日などを記して棟木に打ち付けた板)によれば、永徳3年(1383)年に伊達宗遠によって拝殿が造営され、これが現在残っている拝殿です。伊達家の崇拝は厚く、政宗が仙台に拠点を遷した際は、城下に建立した大崎八幡宮に成島八幡宮を分霊し祀っています。
ちなみに政宗の重臣・片倉小十郎は、成島八幡神社の神官の息子であるともいわれています。