米沢市の概要

米沢市
 米沢市は山形県の最南端に位置し、山形県の母なる川「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地に位置し、福島県と県境を接しています。
 市域は、東西32.1km、南北28.2km、周長124.5kmで横長の楕円形に近い形をしています。面積は、548.74㎢であり、県内の35市町村の中では4番目、全国の1,820市町村の中では173番目の面積を有しています。(平成18年4月1日現在)
 市域の最高地点は、西吾妻連峰の標高2,035mで、市街地では最高地点が標高260mとなっており、南から北に向けて低くなっています。
 気候は、夏が高温多湿ですが、年間降水量は全国平均と比較してやや少なくなっています。また、冬は寒さが厳しく、特別豪雪地帯に指定されており、年間累計積雪深は10mに達することがあるほか、市街地でも平年の最高積雪深が約100cmに達するほどの降雪量があります。
 市域の南側に広がる吾妻連峰は、大部分が磐梯朝日国立公園に指定されており、四季折々の雄大な自然景観が楽しめます。さらに、米沢の奥座敷である小野川温泉のほか、吾妻の山々には古くから奥州三高湯のひとつと言われた白布温泉をはじめ、姥湯温泉、大平温泉、滑川温泉、新高湯温泉、五色温泉、湯の沢温泉などの豊富な温泉群があるほか、夏山登山やスキーなどが手軽に楽しめる「自然の恵み豊かな都市」です。
 米沢の地名は、歴史上中世後期から見られます。地名の由来はヨネ(米)のなるサワ(草の生える湿地)との説や白い水が沸く米井(よねい)があることからきた説などがあります。
 米沢のまちなみは、鎌倉時代にこの地に地頭が置かれて以来形成されてきました。特に、伊達氏が212年間、上杉氏が272年間、本市を含む置賜地方を領したことから、城下町としてのまちなみが形成されました。現在のまちの原型は、上杉氏の家臣の直江兼続によって築かれました。
 本市に所縁のある著名人は多数おりますが、中でも、「上杉鷹山」こと「上杉治憲」が有名です。鷹山は第9代の米沢藩主で、財政が大逼迫していた米沢藩に宮崎県の秋月家から藩主として迎えられ、自ら大倹約の改革を断行するとともに、数々の殖産振興政策を展開して藩財政を立て直した経営業績で知られています。また、鷹山の政治信条は当時の封建時代の中にあって民主主義思想に近いものがあり、こうしたことから現代においても注目されています。
 また、「独眼竜政宗」として戦国の世に名を馳せた「伊達政宗」は、米沢城で生まれ24歳までの多感な青年期を過ごしました。このほか、我が国の民法学者の第一人者である我妻榮氏や平安神宮などを設計した建築家の伊東忠太氏などが本市の出身です。