
第1回 金賞作品 加藤智則さん(宮城県)
第2回 金賞『渡る傘』吉田尚乎さん(東京都)
第3回 金賞『最後の社員旅行~米沢で救われた言葉~』岡 弘さん(神奈川県)
第4回 金賞『車内の情景』戸澤三二子さん(愛知県)
第5回 金賞『扉をひらいて』齋藤典子さん(埼玉県)
第6回 金賞『受験の思い出』秋山瑞希さん(群馬県)
第7回 金賞『桃売り場の前で』佐藤恵美子さん(福島県)
第8回 金賞『忘れ物』山田幸夫さん(大阪府)
第9回 金賞『母の人としての優しさ』德沢彩さん(兵庫県)
第2回 金賞『渡る傘』吉田尚乎さん(東京都)
第3回 金賞『最後の社員旅行~米沢で救われた言葉~』岡 弘さん(神奈川県)
第4回 金賞『車内の情景』戸澤三二子さん(愛知県)
第5回 金賞『扉をひらいて』齋藤典子さん(埼玉県)
第6回 金賞『受験の思い出』秋山瑞希さん(群馬県)
第7回 金賞『桃売り場の前で』佐藤恵美子さん(福島県)
第8回 金賞『忘れ物』山田幸夫さん(大阪府)
第9回 金賞『母の人としての優しさ』德沢彩さん(兵庫県)
★第5回 金賞『扉をひらいて』 齋藤典子さん(埼玉県)
浦和駅東口へ続くバス通りから脇に一本逸れた道に、内科小児科のN医院はあった。父の代からお世話になっていたホームドクターだ。三十年以上前の初夏のある日、二十五歳の新米ママだった私は、熱を出した三ヶ月の長男を連れて行った。N医院はこぢんまりした造りで、待合室には私と息子だけだった。すると、玄関の引き戸がガラガラッと開いて、私より一回りほど歳上の女性の顔が見えた。しかし、女性は玄関を開けっ放しにしたまま去ってしまい、私は戸惑った。閉めた方がよいか、と思い始めた時、女性は戻って来た。腕に六歳位の大きさの女の子を抱えて。女の子の頭や手足は拉げた箇所があり、本当は幾つなのか、六歳より幼いのか中学生位なのか見当がつかなかった。ただ、重い障がいがあり寝たきりで、先に医院の玄関を開けておかなければ、入って来ることが難しかったのは容易に知れた。お母さんは娘さんを長椅子に横たえさせて、ふうーっと大きく息をついたが、辛そうな素振りはなかった。優しく娘さんの髪を撫でていた。
息子の名前が呼ばれた。抱いて診察室に入ろうと立ち上がった時だ。そのお母さんがサッと立って、診察室のドアを開けてくれた。まるで自動ドアのように。「ありがとうございます」頭を下げた私にも、まるくて爽やかな笑顔を向けて。
あのお母さんは、どれだけ、扉を開けて欲しいと願って生きてきたことだろう。
私は息子の三年後に長女を出産した。小さく生まれ自閉の障がいがあった。また別の意味合いで、扉を開けておかなければならないこと、開けて欲しいことが沢山あった。
両親もこの世を去った。時間外でも嫌な顔をせず診て下さったN先生も亡くなられてから久しい。医院の前を通ることも滅多になくなった。それでも、あの日のあのお母さんの親切は、日に日に重みを増して、一つの教えとして私の中に残っている。