大野九郎兵衛
元禄赤穂事件(忠臣蔵)の際、板谷峠(米沢)で吉良義央を待ち伏せしていたといわれる赤穂藩士です。
大野九郎兵衛は、播州赤穂藩の家老職にありました。元禄赤穂事件の際には、大石内蔵助と対立し討ち入りには参加しなかったといわれていますが、実は大石が失敗したときに備え、米沢藩に逃げ込むであろう吉良を待ち伏せするべく、米沢の板谷峠に潜んでいたとの伝説が残されています。その後、討ち入り成功の報を聞いた九郎兵衛は、歓喜し、その場で自害したといわれています。
大野九郎兵衛の供養碑(板谷峠)
大野九郎兵衛の供養碑(板谷峠)
この地で自害したといわれています。
板谷峠の車道より歩いて10分ほどのところに供養碑があります。