佐藤継信・忠信
米沢は義経の忠臣佐藤兄弟の生誕の地といわれています。
佐藤兄弟は義経と共に各地で平家と戦い活躍しました。しかし継信は屋島の戦いにおいて義経をかばい戦死。忠信も義経を逃がすため、一人で源頼朝の軍勢に立ち向かい戦死しています。この兄弟の活躍は『平家物語』や『源平盛衰記』などに詳しく描かれています。特に忠信の活躍は、室町時代初期に書かれた『義経記』の名場面から、歌舞伎・人形浄瑠璃の演目として名高い「義経千本桜」の「狐忠信」こと「源九郎狐」のモデルになっています。
佐氏泉公園
佐氏泉公園
佐藤兄弟がうぶ湯をつかったといわれる清水が残っています。
「佐氏泉」とは「佐藤清水」を漢文調で呼んだ名前で、その名のとおり佐藤氏の清水(泉)という意味です。佐藤氏は、平泉にある奥州藤原氏の重臣、福島県の信夫地方や置賜を治めた佐藤元治の一族で、八木橋の舘に住み、清水の湧くこの地に別邸を建てて心なごませたといいます。佐藤継信・忠信兄弟は、元治の弟正信の子供で、この清水でうぶ湯をつかったという伝説が残されています。